つよくならないでください。
たたかわないでください。
彼が鍛えられ、強くなればなるほど、そんな事を思う自分がいる。
ずっと昔、刀工の端くれだったという男に聞いたことがある。
たとえ、どんな名工の生み出したものであれ、逆に無名であれ、そもそも刀というものは使われなければ意味がないものなのだと。
道具というものは、使ってこそ意味を持つ。
たとえ道具としての意図を持って生みだされても、それはただの形にすぎない。刀は、ただの鉄の塊。それが使われて、初めて道具に「なる」のだという。
素質というものもまた同じ。
必要とされるからこそ意味を持ち、鍛え上げられて「何か」になる。
走る素質は走ってこそ、跳ぶ素質は跳んでこそ。そして、闘う素質とその意志とは本来、戦いの炎の中で炙られ晒され打たれてこそ、目を覚ますものなのだと。
最初はそれを歓迎していた。
戦いの、その内で仲間と共に在るということ、それはマフィアの男にとっては当たり前の――だが、彼にとっては近年になってようやく得る事の出来る喜びだった。
ましてそれが戦いの中、対戦者である自分を救うべく、危険をものともせずに爆発物の只中に踏み込んでいくような男であれば、尚のことだ。
彼は自分を守るだろう。それは、今までの付き合いの中で確信となりつつある。
ならば自分は、無粋にもその背中を撃とうとする輩を倒す。そうして共に戦場を駆ける。これほどの喜びがあるだろうか。
けれど彼は、滅多なことでは拳を振わない。
あれほどの力を持ちながら、けれど敵に対峙することすら嫌がる。一度実力を発揮すれば圧倒的と呼べる力を持ちながら、どこまでも力を、暴力を否定する。
自分はそれを不満に思っていた筈だった。
けれど。
気付いてしまったのだ。彼が、力を振うことを決意するという、その行動の意味を。
それはつまり、この人が戦いの中に赴くということだ。力を頼みにしないこの人に、力を求めさせるほどの――力が在る者しか行く事の出来ない戦いの中に。
そこに、自分のはいる余地は、きっとない。
そもそも、その為の「場所」に自分などという異分子は、おそらく立ち入るどころか爪の先ほども踏み込むことは許されていないのだ。それはこの人を汚す行為である。
0 頂点に立つ存在とは本来そういうものである。
敬え。讃えよ。されど恐れよ。
マフィアと呼ばれ、世に知られるその組織(ファミリー)の長、ドンと呼ばれるべき存在とは「そういうもの」なのだと獄寺は知っているし、理解もしている。否、していた。
けれど。
そこに辿り着くまでに、この人は何を捨てることになるのだろう。
世界の、あらゆるものは対価。得ることは喪うことと同義だ。
同じものなど有り得ない。世界は変化する。強くなり、技を磨いた分だけ、そこから何かがこぼれ落ちる。それが変わる事であり得ることである。
打ち鍛えられ、研磨された鋼は――刃は、既に触れることすら危ういものとなる。
このひとは。
強くなることでどうなってしまうのだろう。
つよくならないでください。
たたかわないでください。
俺は、貴方を守る立場で居続けたいんだ。
「獄寺くん、おはよう」
「……おはようございます」
学校までの道筋で、彼に遭った。
挙げた手には包帯の白色。頬にべたべたと貼られた絆創膏。わずかに覗く痣は痛々しいまでに青黒い。
修行中、なのだと聞いた。今回は、本人も了承しているという。
ああ。
またこのひとはつよくなる。自分の知らないところで爪を磨き、牙を研ぐ。
「獄寺くん?」
それを、どうしても喜べない自分がいるのは何故だろう。
「なんでもないですよ、十代目」
曖昧に笑って見上げた空は、いつものように晴れていた。
いっそ曇ってくれれば、誰かのせいに出来たのにと思って、あまりの女々しさに頭を抱えたくなる。
そうしていつものように、一日が始まる。